(本じゃない)いのちについて最近考えたこと

なんだかとても久しぶりにブログを書いているような気がします。

今日はタイトルにもある通り、ちょっといつもとは脱線して、わたしがいのちについて?生きているってことについて?最近考える機会があったので、日記的なあれであれしたいなあと思います。

 

ブログの趣旨から外れすぎじゃん???と思って、この内容を取り上げようかどうかちょっと迷ったけど、まあどうせ日記なんでね!

それによく人生って物語みたいな比喩されがちだし……わたしの人生という物語的な……読書日記にはふさわしいみたいな……

 

 

前置きはこの辺にして、本題に入ります。

きっかけは、母方の祖母の癌でした。

 

 

祖母の入院

8月のちょうどお盆の頃に祖母の体調が悪化しました。

近くの診療所で診てもらったもらったところ、熱中症や風邪ではなく、胆管の辺りが腫れているとのこと。もっと大きな病院に行った方がいいというので、紹介状をもらって別の病院に向い、診察後即入院でした。

 

わたしはちょうど運よく??暇な毎日を過ごしていたので、祖母のお世話係に任命され、そこから泊まり込みで祖母の身の回りのことをするようになりました。

 

父方の祖父母と母方の祖父は私が幼いころに亡くなっていて、唯一のおばあちゃんだった祖母の存在は身近であったし、中学生からは祖母の家で暮らしていたいわゆるおばあちゃんっ子のわたしは、そのこと自体はまったく嫌ではなくって、むしろ嬉しかったです。

祖母と一緒にいられること、母やその兄弟の役に立てていること、あとは本を読む時間と機会が増えてこのブログをはじめられたこととか、いろいろと(変な言い方ですが)気持ち的には充実していました。

 

 

祖母のがんが発覚

そんな感じの入院生活が二週間ほど続いたころ、とうとう祖母の病気の検査結果が出ました。

病名は胆管がん(この時点では「の疑い」。)

一般的な健康診断等ではなかなか見つかりにくい場所らしく、症状が出てからでは手遅れの場合が多いそうです。

祖母の場合もかなり進行しているようでした。

 

それから祖母はもっと詳しい検査と治療のために県立の大きな病院に転院し、わたしはもともと独り暮らしをしていた家がその病院と近かったので、そこから毎日病院に通う生活が始まりました。

と言ってもわたしに出来る事はほとんどないので、祖母の洗濯物のお世話や話し相手になるとか診察や検査に付き添うとかそんなことくらいなんですけど……。

転院してすぐに内視鏡検査があって、その時に先生が応急処置をしてくださったらしくって、ご飯も食べられるようになって、一見元気に見えるくらいにはなりました。

 

 

がんの進行具合は

9月の初旬に内視鏡検査の結果を教えていただきました。

癌細胞はとってくることが出来なかったけれど、やっぱり胆管がんである可能性が非常に高いということでした。

ただ遠隔転移がなさそうなので、ぎりぎり手術ができると。

ステージにしてⅢB。Ⅳになれば手術は不可能なので、本当に本当にぎりぎりの段階で、私が思っていたより事態は深刻でした。

 

手術の日程等を決め、診察室を出た後、一緒に付き添いをしてくれていた叔母が泣いていてびっくりしたのを覚えています。

私としては、深刻だけど手術ができるし大丈夫くらいの気持ちだったし、祖母も特別沈んだ様子もなかったので、「なんとかなる」って思ったんですが、今になって考えれば頭の中がお花畑すぎますね。

あの時叔母が泣いていた本当の理由はわたしには分からないけれど、あの涙はたぶん一生忘れないだろうなあと思います。

 

 

手術の日

手術当日は親戚が病院に集まりました。

手術の前には祖母に何と言っていいのかよく分からなくて、「待っとくね」とだけ伝えました。

予定時間は8時間だったので、その間従妹の子どものお世話をしてはしゃいで(のんき)いました。

 

ところが、予定時刻になっても手術は終わりませんでした。

それから、一時間、二時間と時間が経って、外も真っ暗になって、それでも看護師さんに呼ばれることはなくて、待合室の私たちには「まさか」の事態さえ浮かんできて、いよいよどうしようかと思った時、声がかかりました。

手術開始から約12時間が経った頃でした。

 

 

先生の話を聞きに行った母とその兄弟が涙を流しながら待合室に戻ってきたとき、ああって思いました。

駄目だったんだなって。

 

手術は成功でした。

成功でした!!!!!!!!

 

時間がかかったのは、祖母がちょっと肥満体系だったからでした。

先生は12時間という長い時間のなか、集中力を切らすことなく手術を完璧に施してくださり、祖母は無事に手術室を出ることが出来ました。

みんなが泣いているからてっきりと思いましたが、本当に安心しました。

 

 

祖母が「生きている」ということ

その後、祖母と面会するためICUに向かいました。

毎日通った病院なのでもう知らないことはないぜって思っていたんですが、そこは普段は絶対入ることのない場所で違う世界だったのでめちゃくちゃドキドキしました。

 

そして祖母と対面。

ぶわっっっっって涙が出ました。

 

私もびっくりするくらい自然に涙が出て、最初に思ったのは「おばあちゃんが生きている」でした。

酸素マスクがついていて、いろんな管がつながっているのが足元から見えて痛々しい姿だったけれど、ちゃんと生きているんだなって思いました。

 

親戚の中なかなか祖母に近づくことが出来なくて、母に背中を押されて祖母の顔がちゃんと見えるところまで行きました。

「おばあちゃん」と声をかけると、全身麻酔で朦朧とする意識の中、祖母がわたしの方を向いてくれました。

手術前もそうだったのに、また私はなんて言っていいのか分からなくて、「明日から一緒に歩こうね」って声をかけました。術後は感染症を防ぐため運動をしなくちゃいけないにしてももっと言うことあったやろって思います。

 

そんな訳の分からない私の言葉に、祖母もたぶん訳の分からないまま軽く頷いてくれて、私の涙は止まらないし、どうすればいいんや……。

 

 

生きてるって本当にすごい!

それからは麻酔の副作用とかいろいろで本当に本当にしんどそうな祖母に付き添って、それまでと同じように身の回りのお世話をしました。

もちろん約束通り、一緒に院内の散歩もしました。

日に日に元気になっていく祖母を見ているのが本当に嬉しかったし、ご飯がだんだんご飯になっていくのも嬉しかったし、祖母があれしたいこれしたいとこれからの話をしてくれることもめちゃくちゃ嬉しかったです。叶えてあげたい。

 

ICUで祖母に会った時に実感したんですが、生きてるって本当にすごいことなんだと思います。

当たり前に当たり前すぎて、命は大事とか言われてもそりゃあまあそうよねぐらいにしか考えていなかった私だけれど、いざ身近な人がどうなるか分からない状態になった時、そして無事だった時、生きていることは当り前なんかじゃないんやって思いました。

 

普段の生活ではみんなピンとこないと思うけど、ほんとにほんとにすごいことだから、生きてるみんなすごいよ、私もすごいよ。

 

この発見が衝撃的すぎて、ICUから出た後に近くにいた叔母にぽつりと伝えたんですが、叔母は頷いて「私も乳がんが分かったときに本当にそう思ったよ」って言ってくれました。

今や2人にひとりががんになる時代、叔母も数年前に乳がんが発覚して手術しているのですが、そんな叔母の言葉がとてもすとんと胸に落ちました。

 

今までももちろん命の大切さは知っていたつもりだったけれど、それは本当につもりだったんだなあと思います。

人間やっぱり当事者になってみないとなかなか分からないね。

 

 

最後になりました

そんな感じでとても濃厚な2か月でした。

誤解を生みそうな言い方ですが、とても貴重な経験をした期間だったと思います。

 

私が言うのもあれですが、この記事を読んでくださっている人がいれば、身近な人が生きていること、何よりあなた自身が生きていることの奇跡にちょっっっっとでもいいから気づいてほしいです。そんなこととっくに知ってたらごめんなさい。

それと、いざという時のために痩せていた方が絶対いいです。絶対。

下手したら手術が続行できない場合もあるらしいし、執刀医の先生の負担もだいぶ違います。

一緒にダイエット頑張りましょう!

 

今は祖母も元気になって退院しています。本当によかった。

がんの再発率は50%と言われています。

この数字が高いか低いかは別として、祖母が元気になってくれたことを素直に受け入れて、これからの楽しいことを考えるぞ!

 

そして、長い長い手術をやり遂げて下さった執刀医の先生やその他祖母の手術に関わってくださった方々、術前術後の祖母の様々な面倒をみてくださった看護師のみなさん、祖母のお見舞いに来てくださったたくさんの人たちへのありったけの感謝の気持ちを改めてここから伝えておきます。

みなさん本当にありがとうございました!!

 

おばあちゃん、生きててくれてありがとう!!

来年一緒に北海道に行こうね。

 

おわり