(本じゃない)いのちについて最近考えたこと

なんだかとても久しぶりにブログを書いているような気がします。

今日はタイトルにもある通り、ちょっといつもとは脱線して、わたしがいのちについて?生きているってことについて?最近考える機会があったので、日記的なあれであれしたいなあと思います。

 

ブログの趣旨から外れすぎじゃん???と思って、この内容を取り上げようかどうかちょっと迷ったけど、まあどうせ日記なんでね!

それによく人生って物語みたいな比喩されがちだし……わたしの人生という物語的な……読書日記にはふさわしいみたいな……

 

 

前置きはこの辺にして、本題に入ります。

きっかけは、母方の祖母の癌でした。

 

 

祖母の入院

8月のちょうどお盆の頃に祖母の体調が悪化しました。

近くの診療所で診てもらったもらったところ、熱中症や風邪ではなく、胆管の辺りが腫れているとのこと。もっと大きな病院に行った方がいいというので、紹介状をもらって別の病院に向い、診察後即入院でした。

 

わたしはちょうど運よく??暇な毎日を過ごしていたので、祖母のお世話係に任命され、そこから泊まり込みで祖母の身の回りのことをするようになりました。

 

父方の祖父母と母方の祖父は私が幼いころに亡くなっていて、唯一のおばあちゃんだった祖母の存在は身近であったし、中学生からは祖母の家で暮らしていたいわゆるおばあちゃんっ子のわたしは、そのこと自体はまったく嫌ではなくって、むしろ嬉しかったです。

祖母と一緒にいられること、母やその兄弟の役に立てていること、あとは本を読む時間と機会が増えてこのブログをはじめられたこととか、いろいろと(変な言い方ですが)気持ち的には充実していました。

 

 

祖母のがんが発覚

そんな感じの入院生活が二週間ほど続いたころ、とうとう祖母の病気の検査結果が出ました。

病名は胆管がん(この時点では「の疑い」。)

一般的な健康診断等ではなかなか見つかりにくい場所らしく、症状が出てからでは手遅れの場合が多いそうです。

祖母の場合もかなり進行しているようでした。

 

それから祖母はもっと詳しい検査と治療のために県立の大きな病院に転院し、わたしはもともと独り暮らしをしていた家がその病院と近かったので、そこから毎日病院に通う生活が始まりました。

と言ってもわたしに出来る事はほとんどないので、祖母の洗濯物のお世話や話し相手になるとか診察や検査に付き添うとかそんなことくらいなんですけど……。

転院してすぐに内視鏡検査があって、その時に先生が応急処置をしてくださったらしくって、ご飯も食べられるようになって、一見元気に見えるくらいにはなりました。

 

 

がんの進行具合は

9月の初旬に内視鏡検査の結果を教えていただきました。

癌細胞はとってくることが出来なかったけれど、やっぱり胆管がんである可能性が非常に高いということでした。

ただ遠隔転移がなさそうなので、ぎりぎり手術ができると。

ステージにしてⅢB。Ⅳになれば手術は不可能なので、本当に本当にぎりぎりの段階で、私が思っていたより事態は深刻でした。

 

手術の日程等を決め、診察室を出た後、一緒に付き添いをしてくれていた叔母が泣いていてびっくりしたのを覚えています。

私としては、深刻だけど手術ができるし大丈夫くらいの気持ちだったし、祖母も特別沈んだ様子もなかったので、「なんとかなる」って思ったんですが、今になって考えれば頭の中がお花畑すぎますね。

あの時叔母が泣いていた本当の理由はわたしには分からないけれど、あの涙はたぶん一生忘れないだろうなあと思います。

 

 

手術の日

手術当日は親戚が病院に集まりました。

手術の前には祖母に何と言っていいのかよく分からなくて、「待っとくね」とだけ伝えました。

予定時間は8時間だったので、その間従妹の子どものお世話をしてはしゃいで(のんき)いました。

 

ところが、予定時刻になっても手術は終わりませんでした。

それから、一時間、二時間と時間が経って、外も真っ暗になって、それでも看護師さんに呼ばれることはなくて、待合室の私たちには「まさか」の事態さえ浮かんできて、いよいよどうしようかと思った時、声がかかりました。

手術開始から約12時間が経った頃でした。

 

 

先生の話を聞きに行った母とその兄弟が涙を流しながら待合室に戻ってきたとき、ああって思いました。

駄目だったんだなって。

 

手術は成功でした。

成功でした!!!!!!!!

 

時間がかかったのは、祖母がちょっと肥満体系だったからでした。

先生は12時間という長い時間のなか、集中力を切らすことなく手術を完璧に施してくださり、祖母は無事に手術室を出ることが出来ました。

みんなが泣いているからてっきりと思いましたが、本当に安心しました。

 

 

祖母が「生きている」ということ

その後、祖母と面会するためICUに向かいました。

毎日通った病院なのでもう知らないことはないぜって思っていたんですが、そこは普段は絶対入ることのない場所で違う世界だったのでめちゃくちゃドキドキしました。

 

そして祖母と対面。

ぶわっっっっって涙が出ました。

 

私もびっくりするくらい自然に涙が出て、最初に思ったのは「おばあちゃんが生きている」でした。

酸素マスクがついていて、いろんな管がつながっているのが足元から見えて痛々しい姿だったけれど、ちゃんと生きているんだなって思いました。

 

親戚の中なかなか祖母に近づくことが出来なくて、母に背中を押されて祖母の顔がちゃんと見えるところまで行きました。

「おばあちゃん」と声をかけると、全身麻酔で朦朧とする意識の中、祖母がわたしの方を向いてくれました。

手術前もそうだったのに、また私はなんて言っていいのか分からなくて、「明日から一緒に歩こうね」って声をかけました。術後は感染症を防ぐため運動をしなくちゃいけないにしてももっと言うことあったやろって思います。

 

そんな訳の分からない私の言葉に、祖母もたぶん訳の分からないまま軽く頷いてくれて、私の涙は止まらないし、どうすればいいんや……。

 

 

生きてるって本当にすごい!

それからは麻酔の副作用とかいろいろで本当に本当にしんどそうな祖母に付き添って、それまでと同じように身の回りのお世話をしました。

もちろん約束通り、一緒に院内の散歩もしました。

日に日に元気になっていく祖母を見ているのが本当に嬉しかったし、ご飯がだんだんご飯になっていくのも嬉しかったし、祖母があれしたいこれしたいとこれからの話をしてくれることもめちゃくちゃ嬉しかったです。叶えてあげたい。

 

ICUで祖母に会った時に実感したんですが、生きてるって本当にすごいことなんだと思います。

当たり前に当たり前すぎて、命は大事とか言われてもそりゃあまあそうよねぐらいにしか考えていなかった私だけれど、いざ身近な人がどうなるか分からない状態になった時、そして無事だった時、生きていることは当り前なんかじゃないんやって思いました。

 

普段の生活ではみんなピンとこないと思うけど、ほんとにほんとにすごいことだから、生きてるみんなすごいよ、私もすごいよ。

 

この発見が衝撃的すぎて、ICUから出た後に近くにいた叔母にぽつりと伝えたんですが、叔母は頷いて「私も乳がんが分かったときに本当にそう思ったよ」って言ってくれました。

今や2人にひとりががんになる時代、叔母も数年前に乳がんが発覚して手術しているのですが、そんな叔母の言葉がとてもすとんと胸に落ちました。

 

今までももちろん命の大切さは知っていたつもりだったけれど、それは本当につもりだったんだなあと思います。

人間やっぱり当事者になってみないとなかなか分からないね。

 

 

最後になりました

そんな感じでとても濃厚な2か月でした。

誤解を生みそうな言い方ですが、とても貴重な経験をした期間だったと思います。

 

私が言うのもあれですが、この記事を読んでくださっている人がいれば、身近な人が生きていること、何よりあなた自身が生きていることの奇跡にちょっっっっとでもいいから気づいてほしいです。そんなこととっくに知ってたらごめんなさい。

それと、いざという時のために痩せていた方が絶対いいです。絶対。

下手したら手術が続行できない場合もあるらしいし、執刀医の先生の負担もだいぶ違います。

一緒にダイエット頑張りましょう!

 

今は祖母も元気になって退院しています。本当によかった。

がんの再発率は50%と言われています。

この数字が高いか低いかは別として、祖母が元気になってくれたことを素直に受け入れて、これからの楽しいことを考えるぞ!

 

そして、長い長い手術をやり遂げて下さった執刀医の先生やその他祖母の手術に関わってくださった方々、術前術後の祖母の様々な面倒をみてくださった看護師のみなさん、祖母のお見舞いに来てくださったたくさんの人たちへのありったけの感謝の気持ちを改めてここから伝えておきます。

みなさん本当にありがとうございました!!

 

おばあちゃん、生きててくれてありがとう!!

来年一緒に北海道に行こうね。

 

おわり

 

はるな檸檬『ダルちゃん』

 今回読んだのはこちらの作品~~~

 

hanatsubaki.shiseidogroup.jp

 

いつもとは趣向を変えて、web漫画です。

少し前にTwitterで話題になっていて、すぐには読めない!と思いブックマークしていたのを思い出して一気読みしました。全52話。

 

主人公は24歳の派遣社員、丸山成美。

……というのは仮の姿で、その本当の姿はダルダル星人のダル山ダル美です。

 

ダルダル星人ってなんぞや、って感じだと思います。

ダルダル星人っていうのは、見た目がスライムみたいな人間というか、身体がダルダルしてる感じの、メタモンみたいなのを想像してもらえたら正解です。

ダルちゃん曰く、みんな人間に擬態しているだけでダルダル星人はその辺にいるんだそう。

 

そんなダルちゃんが、「普通の女性」に擬態して仕事をして、人と関わって、恋をして云々……というストーリーです。

 

 

いや~~~~もうね、頭悪いから振り返ると??ってなってしまって。

たぶんめちゃくちゃ乱暴に解説すると、「自分らしさ」について言及した作品だと思うんです。

 

「普通の女性」にこだわって、そこからはみ出すことをひどく恐れる主人公や、それを見てもっと自分を大切にしろと苦言を呈す職場の女性や、身体障がいを持っていることにコンプレックスを抱く恋人、ダルダル星人であることを隠そうとしない男性……。

などなど、登場人物は様々です。

 

ダルちゃんはダルダル星人だから、それがばれないように、周りの女の人がどうやって生きているのかをよく観察して、それを真似しながら擬態の完成度を上げていきます。

その擬態は、例えば朝シャワーを浴びて髪を洗ったり、ドライヤーで髪を乾かしたり、メイクをしたりという身の回りのことから、女性は男性の話を黙って聞いて同調するとか、失礼なことを言われても笑って受け流すとかいう身の振り方のことまで、あれもこれもと大変そう。

 

けれど、「周りと違う」こと、それ故に他人から疎まれることが何よりも怖いダルちゃんは、必死で擬態をします。

 

そんな日々の中でダルちゃんが心の中でぽつりとこぼす一言、

…モノマネしすぎて 時々 自分が本当は何を考えているのか わからなくなる時があるなぁ

 

っていうのが、個人的にめちゃくちゃ刺さってしまって、うってなりました。

 

いや別に中二病とかではなくって、私自身がすごく人の目を気にしてしまうというところでダルちゃんに共感をしたんですよね。

 

人当たりが良いとか、八方美人とか言われるけど、別にそうしたいわけじゃなくてただ人に嫌われるのが極端に怖いというか、できることなら人から良く思われたいみたいな、そういう安っぽい見栄?じゃないけど、なんかそういうやつ……こじらせてる……。

自分の素直な気持ちとか口や態度でありのままさらけ出したら、誰も私のこと好いてくれなくない?!?みたいな。

相手がどんな対応を期待してるのかなあって顔色伺って、へらへらしてしまうというか、そういうのが生きづらくもあり、生き易くもありって感じで。

 

 

だから、ダルちゃんの気持ちめっちゃわかるし、他の堂々としたダルダル星人に出会って憧れつつもやっぱり自分はそうなれないのも、めっちゃわかる。

 

 

そんなこんなで「自分らしさ」の大切さを描いた(と私は思っている)この作品、他にも恋人との関係とか、性差別的なこととか、いろいろと考えさせられることがあった気がします。

 

こういう作品だから、最後はやっぱり本来の自分が好き!ってなってダルちゃんがダルダル星人の姿で社会に溶け込むエンドだと思うじゃないですか。

 

でもそうじゃないんですよね。

 

ダルちゃんは、自分らしくあること(具体的に言うとダルダル星人であることを隠さないこと)の素晴らしさに気が付きながら、「普通」に擬態している自分もいいかも、って思うようになって、人間の姿で生きることを選ぶんです。

さっきちらっと言ったけど、それはやっぱり人目が怖いっていう消極的な理由もあるかもしれません。

だけど、そういうとこをひっくるめて自分を受け入れられることが良いなって思いました。

 

 

ちなみにこの漫画、2018年12月に書籍化するそうです。おめでとうございます!

それに伴って、webでの公開は2018年10月31日までだそうなので、よかったらぜひ。

第一話のリンク↓

t.co

 

 

 

語彙力と文章力がなさすぎて毎回薄っぺらい感想になっちゃって悔しい!!

あと太字とか斜体とかその他諸々の機能全然活用できてない!悲しい!!

精進します。

島本理生『Red』

今回の本はこれ!

 

Red (中公文庫)

Red (中公文庫)

 

 

たまにはいつも読まないようなジャンルの作品が読みたいなあと思って手に取ったのが『Red』です。

表紙からなんとなく察せるように、ちょっとだけ官能的な小説。

その描写も濃密で生々しいけれど、決して下品ではなくて、むしろ主人公を思うと胸が苦しくなるほど切なくて何度も泣いてしまいました。

 

 

いつもの裏表紙あらすじはこちら。

夫の両親と同居する塔子は、可愛い娘がいて姑とも仲がよく、恵まれた環境にいるはずだった。だが、かつての恋人との偶然の再会が塔子を目覚めさせる。胸を突くような彼の問いに、仕舞い込んでいた不満や疑問がひとつ、またひとつと姿を現し、快楽の世界へも引き寄せられていく。上手くいかないのは、セックスだけだったのに――。 

 

 

主人公の村主塔子は、30歳の専業主婦です。端正な顔立ちでそれなりに収入のある夫(真)と、元気で可愛い娘(翠)と、気さくな姑(麻子)とその旦那と同居していて、はたから見ればいわゆる「勝ち組」のような女性です。

本人も自分が恵まれた環境にあることを自覚しているものの、どこか満たされないものがあって、それが夫・真との関係でした。

 

真は長女の翠が生まれてから、塔子と肉体関係を結ぼうとしなくなったのです。

塔子から誘ってみれば、女がそういうことを口にするのってどうなの、と引いてしまうし、そうなると塔子は冗談だよ、と笑うしかありません。

それでも真の浮気が怖い塔子はオーラルセックスを提案するのですが、これにはあっさりと頷き受け入れる辺りが、また塔子の胸を重たくさせます。

 

なんというか、真って与えられるばかりで塔子に何かしてあげるってことがないんですよね。してあげないどころか、してあげようとすら思ってない。

肉体関係のこともそうだし、子どものことや家のことも、塔子がして当然だと思っている。

その現状が真にとっては当たり前で満足しているから、それ以上のアクションは起こせないんです。

塔子と向き合うとき、塔子自身ではなくて母や妻という肩書きを通してでしか塔子を見れないから、自分自身が必要とされている実感のない塔子の心は満たされない。

 

真の母である麻子も同様で、気さくで優しいんだけれど塔子自身を見ていない。

そういう生活の中の心のひっかかりが塔子の胸にずっとあって、そんな中で再会するかつての恋人鞍田さんの存在ですよ!!

 

鞍田さんはTHE・年上って感じの男性で、塔子が家庭では埋めることのできない心の隙間を優しく、熱烈に埋めていきます。

塔子が抱える孤独を見抜いて、寄り添う様子は惚れるしかない……。

 

 

鞍田さんと塔子が那須の温泉地に旅行に訪れ、宿で身体を重ねる場面が印象的だったので引用します。

腰遣いが激しくなってきたとき、心臓をぐっと持ち上げられたように、なにかが迫り上がってきた。言っちゃだめ、とひそかに焦った。けっして私から口に出してはいけない言葉。それなのに勝手に出てきてしまう。溢れる。

「好き」

私はとうとう、しがみついて言った。

「好きです。鞍田さん、好き」  (p.259)

 

ア~~~~~~~~~~~~~~;;;(泣)(泣)(泣) 

 むり、、、、、、、;;;;

 

さらに塔子の心情描写は以下に続きます。

好きになってから抱き合うのだと思っていた。快感が先に来て、それによって体から引きずり出される言葉だなんて知らなかった。好き、とくり返すたびに寒空の下で温泉に浸かったときに似た幸福感が全身に広がった。温かくて幸せでなにも不足がない。  (p.259)

 

切ない。

塔子が胸のうちで「幸せ」だと思う瞬間が、心が満たされていると実感する瞬間が鞍田さんに抱かれているときなの、本当に切ない。

「温かくて幸せでなにも不足がない」っていう塔子の思いの切なさといったらない。

夫からは決して与えられない幸福感でいっぱいの塔子の胸からあふれる、鞍田さんへの「好き」の言葉が苦しいよ~~~~

(個人的に「好き」という思いや言葉が快感によって体から引きずり出されるっていうの、本当にすごいと思うんですけどどうですか?盲点というか、ある意味真実というか、よく書けたというか)

 

ここまで思うほど、塔子は寂しかったんだと思うとつらいですね。

けど他の人の感想を見ていると、塔子に共感ができないっていう意見がとても多くて、だから必然的に塔子の言動に否定的な人が多数派っぽかったです。

 

なんでやねーーーーーーーーーーーーーん!!!!

たしかに塔子には守るべき家庭があって、妻であり母である女性としての彼女の行動は軽率です。

でも、塔子の心情をちゃんと読んでいれば、ただ非難することはできないと思うんですよね……。

誰にも自分自身を認めてもらえなくて、どこに居ても寂しくて、苦しい苦しいってもがいてもどうにもできない中、そんな思いを全部まとめてすくってくれる人が現れたら、どれだけ頭でだめだって分かっていても、縋っちゃうんじゃないのかなあ。

 

不倫は認められるわけじゃないけど、救いを求めること自体は絶対悪くないし。

 

そんな風に思ってしまうから、わたしは塔子の胸の内を思うと本当にしんどいし、鞍田さんがそんな彼女を幸せにしてくれるんだと思ったらほっとしました。

その反面塔子の周り、特に夫の真に対してはお前はなにやってんねんと、男ちゃうんか?と、村主家に乗り込んでお説教したい思いでいっぱいでした。

 

でもですよ、でもでもなんですよ。

 

読み進めていると、どうやら真たちをただ責めることもできなくなってくるんです。

というのも、真や麻子には悪意が微塵もない。

真は一途で家庭を大切にしていて、その為にしっかり働くし、麻子も塔子を気遣って孫のお世話をよくしてくれる、根は優しい人たちなんですよね。

だからこそ塔子は逃げられなかったんだろうなと思います。

 

特に真についてはエピローグで衝撃の告白があり、ぎゃ~~~ってなります。

このブログを書くにあたってその場面を読み直したんですが、ぼろ泣きしました。

 

真には真の苦しみがあって、それを塔子は知らない。

たとえ両親や娘がいても、僕もまたひとりぼっちです。僕の心の中だって誰も分からないのです。 (p.486)

 

と、塔子に宛てた手紙の中で真は語ります。

この手紙の内容全部引用したいくらいサイコーなんですが、まあまあ長いので諦めます、本文読んで。(読んで)

 

結論を言うと、真は塔子と結婚するまで、女性と付き合ったことが一度もなく、そのことを塔子に隠していました。

それは真の過去の経験が原因になっていて、真がことあるごとに麻子の肩を持とうとするのもそこに起因していました。

そんな中で初めて好きだと思えたのが塔子です。

 

 何度も会って、こんなにいつも笑顔で、僕が傷ついたり嫌な気分になることを言わない優しい女性がいたのかと驚きました。あなたが意外と恋愛慣れしていることに引け目を感じて、つい反撥してしまう僕を、それでも大事にしてくれて本当に幸せでした。

  いつか塔子は僕に訊いた。あなたにとって結婚とはなに、と。

 生涯でただ一人好きになった女性と一緒になったこと。

 僕にとっては、それが結婚のすべてでした。

 

ここを読んでもらっただけでも分かると思うんですけど、真の塔子への思いは切実なんですよね。

だったらなんでって思っちゃうんですけど。

塔子がおしゃれをしたときに気づいてあげるとか、塔子の社会復帰や子育てについて理解をしようとするとか、塔子から誘われたときにせめて恥ずかしい思いをさせないようにするとか、できることはたくさんあったはずやで。

 

そういうのをほっぽって愛してほしい、尽くしてほしいって思うのもちょっとずれてるなってやっぱなる。

でも真の思いには心打たれる。

だから、もうなんていうか全体的にしんどい!!むり

 

まあ真は塔子のことを「僕が傷ついたり嫌な気分になることを言わない優しい女性」って言っているけど、これも結局なるべく自分を殺して周りにあわせようとする、自分らしさを出せない塔子が好きって言ってるようなもんで、読者からすると皮肉っぽい。

 

 

もう一人名脇役に小鷹くんっていう、塔子の職場の年下の先輩がいるんですけど、その人がはちゃめちゃに悪くてずるくてかっこいい。

わたしは鞍田さん派ですが、あの時あの場面だと絶対小鷹くんに抱かれてます。何の話やねん。

いやでもそう思っちゃうくらいアツい展開があるんです、読んで。(読んで)

そんで小鷹くんのずるさの虜になってくれ、全人類。

 

 

まあそんな感じで本当にしんどいし切ないし悲しいしでも面白い作品でした。

塔子が誰を選ぶのかは、その目で確かめてほしいです。

ここには書ききれていない様々な要素があるし、エピローグを読むとまた違った視点で物語が把握できてより面白いので、ぜひぜひ。ぜひ。

あと、タイトルがなんで『Red』なのか分かってないので、誰か教えてください。

 

たまには本選びで冒険してみるのもいいなって本気で思いました。

 

 

最後に、昨日出会った曲がこの作品とどこかリンクしているなあと思ったので紹介しておきます。

www.youtube.com

 

私に不倫願望はありません。(たぶん)

松岡圭祐『瑕疵借り』

今回の本はこれだ~~~!

 

瑕疵借り (講談社文庫)

瑕疵借り (講談社文庫)

 

 

これは完全に帯買いでした。

「事故物件サイト大島てる推薦!」

この一文のインパクトすごすぎませんか??買うしかないでしょこんなの。

 

「大島てる」といえば、いわゆる「訳あり」の物件を検索することができる超有名サイトです。

ああいうの、よっぽどじゃない限り見ない方が良いと思うんだけど、どうだろう。

自分の住んでいる部屋が「訳あり」だった時、どうしていいか分からないし、知らない方が絶対幸せや……。

 

そんな「大島てる」が推薦しているこの作品は、ずばり「事故物件」が主役です。

 

 

以下あらすじは裏表紙から引用。

訳あり物件に住み込む藤崎は不動産業者やオーナーたちの最後の頼みの綱。原発関連死、賃貸人失踪、謎の自殺、家族の不審死……どうすれば瑕疵を洗い流せるのか。男は類い稀なる嗅覚で賃貸人の人生をあぶり出し、瑕疵の原因を突き止める。誰にでも明日起こりうるドラマに思わず涙する〝賃貸ミステリ〟短編集。 

 

ちなみに「瑕疵借り(かしがり)」についての説明が帯にあったので、それも記載しておきます。

 瑕疵借りとは?

賃貸人が死んだり事件や事故が起きたりして、瑕疵告知義務が生じた物件にあえて住む物。瑕疵の告知義務を執行させるために、裏で大家や管理会社がこっそり依頼する。

 

ちなみのちなみに「瑕疵」というのは、不動産用語で「造成不良や設備の故障など、取引の目的である土地・建物に何らかの欠陥があることをいいます。不具合ともいい、キズがあることを意味」します。(ライフルホーム・不動産用語集 https://www.homes.co.jp/words/k1/525000392/ )

この作品で主に取り上げられるのは、物件の物理的なキズや欠陥ではなく、心理的な瑕疵、つまり「前の住人が事故死していて、何か気持ち悪い」というような、不安からくる精神的な物件の欠陥です。

 

そんな瑕疵の原因を突き止めていく本作の主人公が、藤崎という男です。

 

この男がね~~~~もう本当になんというか口数は少ないし不愛想だしなんかぱっとしないし事故物件に住んでるし一見変質者みたいな人なんですが、読み進めるうちにどんどん好きになってしまう優しい人なんですよね……。

正直全編通してあまりにもするする謎を解きすぎでは??って思わなくもないけど、藤崎は経験豊富なベテランの瑕疵借りだし、そうでなくても本当によく周りを観察している人だから分かっちゃうのかなあなんて思います。

 

あと、藤崎は人の気持ちをよく知っている。これに尽きる。

もしかしたら瑕疵借りの経験を通して、知識としてそれを理解しているのかもしれないけど、失踪した少女や自殺した男性がその行為に至るまでの過程なんて、赤の他人に普通分かりっこないやん……。

そういう意味で、十人十色の人の「生」に触れられる作品でもありました。

 

 

実は、ごりごりのホラー小説だと思ってこの本を買ったんです。(あらすじの「思わず涙する」は、怖すぎてっていう意味だと捉えていました)(なんでやねん)

ところがどっこい、ごりごりに泣かせてくる超感動の短編集で、良い意味で裏切られました。

 

 物語は、何らかのかたちで「訳あり物件」と関わることになる人物たちの視点から語られます。

賃貸人と学生時代のアルバイト先で交流があった、失踪した賃貸人の保証人になっていた……などなどつながりは様々ですが、それぞれが「訳あり物件」と出会い、そして藤崎と出会います。

 

 

先ほど、この作品を十人十色の「生」に触れられると評しましたが、語りの視点となるそれぞれの人物たちも、それを感じ取っているような気がします。

自殺を図ったり、失踪したり、病気で亡くなったりした賃貸人たちの本当の思いを解き明かし、理解することで一皮むけていくというか。

物語は決してハッピーエンドではないけれど、なぜか希望にあふれているのがこの作品です。

切なかったり、悲しかったり、やるせなかったり、しんどかったりするけど、なんかあたたかい気持ちになるんですよね、不思議。

 

 

生きていると、つくづく人間って難しいなって思いますが、誰かに寄り添ったり、気持ちを理解しようとすることって大事だなと改めて思いました。 

 

あと、読書ってやっぱりすごいなと。

たぶんこういう「訳あり物件」だとか瑕疵借りだとかに出会ったり当事者になったりすることって、これからの人生ほぼ無いと思うんです。

でも、本でならわたしも登場人物の追体験っていうかたちで自分のものにできて、そうやって知識とか価値観とか、いろいろな成長につながるような気がします。

こういう生き方もあるんだな、やり方、考え方人それぞれだな、そういう風に思えるだけでも、人生の経験値大幅アップみたいな。

 

別にだから本を読むわけじゃないけど、なんとなく、読書が自分の糧になるのかな~~って思ったり、思わなかったりしました。

 

 

ノリで文章を書いているとどうもポエミーになるのが悩みです。

麻耶雄嵩『神様ゲーム』

今回の本はこちら~~!

 

神様ゲーム (講談社文庫)

神様ゲーム (講談社文庫)

 

 

なんちゃらゲームっていうタイトルって、昔からなんとなく好きです。

私はどちらかというとほんわかハッピーエンド系よりも、始終暗くてぞくぞくするミステリーとかホラー系の作品が好みで、なんちゃらゲームが題名の作品は後者の傾向が強いかなあと思うから、ついつい手にとってしまいます。

中二心がくすぐられるあの感じ、なんとも言えません。

 

そんなわけで本屋さんで出会った『神様ゲーム』のあらすじはこちら。

以下引用は裏表紙から。

ぼくの住む町で、連続して意味ありげな猫の殺害事件が発生。ぼくは同級生と結成していた探偵団で犯人捜しを始めることにした。

そんなとき、転入したばかりのクラスメイト鈴木君は「ぼくは神様なんだ。猫殺しの犯人も知っているよ」って言うんだ。

嘘つき? それとも何かのゲーム?

その数日後、ぼくたちは探偵団の本部として使っていた古い屋敷で死体を発見する。

猫殺し犯がついに殺人を!?

ぼくは「神様」に真実を教えてほしいとお願いをしたんだ。その真実はぼくにとって最悪と思っていた真実よりも最悪で……

 

今気が付いたんですが、わたしが購入した『神様ゲーム』、カバーがふたつついていました。(!?)何かのキャンペーンだったのかな……。

上の作品紹介は主人公芳雄が語り手となっています。

 

一応もう一方の作品紹介も引用しておきます。

 神降市に勃発した連続猫殺し事件。芳雄憧れの同級生ミチルの愛猫も殺された。町が騒然とするなか、謎の転校生・鈴木太郎が犯人を瞬時に言い当てる。鈴木は自称「神様」で、世の中のことは全てお見通しだというのだ。鈴木の予言通り起こる殺人事件。芳雄は転校生を信じるべきか、疑うべきか。神様シリーズ第一作。

 

書いてあることはほとんど同じですね。

わたしは芳雄視点のほうが好きです。合間合間でよっ!いいぞ~~!!って囃し立てたくなるから。 

 

内容に入っていくんですが、全体を通してなにかが起こりそう……!っていう恐怖感や緊張感がずっと続いていて、いい意味でひやひやしながら読み進められる作品でした。

特に、芳雄が所属する浜田探偵団が拠点にしている廃墟で、団員が同級生で芳雄の親友の死体を発見する場面は、まるでホラー映画を観ているみたいな臨場感で、本を読んでいるのに思わず目を閉じてしまいそうになりました。

後ろ振り向いたら絶対いるやつじゃん!!!みたいなのがガンガンきます。

 

ところで町で勃発している猫殺しと、廃墟で起きた殺人事件は実は全く関連性のないものですが、物語内では登場人物たちが関係があるものとして推理をしていくので、良い感じに推理が邪魔されて面白いです。

猫殺しの謎解きは物語の序盤も序盤で終わってしまっていることに読了してから気づかされるときのあの感じね……。

 

この物語でのキーパーソンはいわずもがな自称「神様」・鈴木太郎君です。

鈴木君は「神様」なので、もちろん全知全能。

鈴木君に気に入られた芳雄は、「神様」の持つ、「天誅」という人知の及ばない手段で親友を殺した犯人とその共犯者を罰してもらい、それによって殺人事件の真相が解明されていきます。

 

嘘です。

 

「芳雄は転校生を信じるべきか、疑うべきか。」と作品紹介にもありますが、芳雄だけでなく、物語を読み終えた読者も転校生・鈴木君を信じるか、疑うかどうすればいいのか困惑してしまいます。絶対。

というのも、理論的に考えれば共犯者であるべきの人物……ではない別の人物に「天誅」が下るんです!

そして芳雄は「神様は間違えない」と、その事実を受け入れ、物語は幕を閉じます。

 

え~~~~~~?????みたいな。

謎がとけてめちゃくちゃすっきりしてたのに、どういうこと????みたいな。

気になりすぎて、読んですぐ「神様ゲーム 解説」で検索をかけて他の人の感想を読み漁ってみました。

 

神様ゲームの勝者は誰だったのか?

上の解説が本当に本当に丁寧で面白いので、もやもやする人は読もう。

 

神様を信じるなら、共犯者は母親。

神様を否定するなら、共犯者は父親。

読者が神様を信じるか否かで、事件の真相が変わるのが、この物語なんだって。

 

最初から最後まで神様に踊らされてる感じがして悔しいです、悔しいけど面白い。

解説を読んで、この物語がとても絶妙なバランスで、きわめて繊細に作られていることに改めて気づかされました。

考察とかじゃなくてあらすじと感想をだらだら綴っただけになってしまいましたが、たまにはこういうのもいいかな……まだ三冊目だけど……。 

 

 

それにしても、ミチルちゃんがとてもとてもいいキャラクターでした。

強かな女の子、嫌いじゃない……!

 

 

恩田陸『不連続の世界』

今回の本はこれ!

 

不連続の世界 (幻冬舎文庫)

不連続の世界 (幻冬舎文庫)

 

 

前々から店頭に並んでいるのを見て気になってはいたのですが、なかなか購入する機会がなく、また買ってからも読むタイミングがなくて本棚に積まれていたのを、この前やっとこさ読み終わりました!

 

以下引用は裏表紙の作品紹介です。

妻と別居中の多聞を、三人の友人が「夜行列車で怪談をやりながら、さぬきうどんを食べに行く旅」に誘う。車中、多聞の携帯に何度も無言電話が……。友人は言った。「俺さ、おまえの奥さん、もうこの世にいないと思う。おまえが殺したから」(「夜明けのガスパール」)――他四編、『月の裏側』の塚崎多聞、再登場。恩田陸のトラベル・ミステリー! 

 

内容は、

 「木守り男」

 「悪魔を憐れむ歌」

 「幻影キネマ」

 「砂丘ピクニック」

 「夜明けのガスパール

の5編です。

語り手の視点は、大手レコード会社のプロデューサーを務める塚崎多聞。この男性がいつも冷静沈着、客観的に物事を見極めることのできる、けれど決して主張の強くない存在で、すっと空気に同化してしまう、なんだか不思議な人です。

 

私が一番好きだったのは「砂丘ピクニック」です。

多聞は友人で翻訳家の楠巴に付き添ってT砂丘を訪れます。巴の目的は、彼女が現在翻訳しているフランスの物理学者の自叙伝内にある不可解な記述を解明することでした。その記述とは、目の前に広がる砂丘が「消えた」というものです。「あの大きな砂丘が消える?」多聞はそんな馬鹿なと思いますが、巴との旅で出会う様々な出来事がきっかけで謎は紐解けて……。

ってな感じのお話なんですが、このトリックが本当に面白いんです!!

とても科学的かつ現実的で、だけどロマンチックで淫靡な背景があった上での砂丘が「消えた」なんですよ、わたしびっくりしました。

あまり詳しいことを書くともったいないのであれですが、夜の砂丘とそこにぽつんと佇むフランス人の学者、それを照らす月明り、そして宿で待つ乙姫様を思い浮かべるだけでうっとりしてしまいます。

こういうちょっと大人なラブロマンスみたいな雰囲気が好きすぎてだめですね……。

 

さて、最後のお話は裏表紙でも紹介されている「夜明けのガスパール」です。

これがですね、本当にすごいんですよ。

何がすごいって、「木守り男」から「砂丘ピクニック」までの四編が、まるでこの最後の話に向けた大きな伏線かのようになってるんです。

伏線というか、罠?トリック?作者にまんまとやられた。

 

先に書きましたが、多聞という男は実に冷静沈着で、先入観に囚われず物事の本質を見抜く力を持っています。

その力は他の四編で余すことなく発揮され、一見摩訶不思議で奇々怪々な事象の数々を現実的にずばずばと解決していく様は読んでいてとても爽快です。

だからこそ、読者は最後のお話でもそうなんだろうな~~ってわくわくしながらページをめくっていくわけじゃないですか。

 

なのに!!なのに~~~~~~!!!!!

っていう。

いや、もう言ってしまうと、最後の最後で、誰よりも現実が見えていないのは多聞自身だということが分かるんですよね。

自分にとって受け入れがたい現実を突っぱねて、都合の良い世界に作り替えて認識して、そんな中で生きている男だったわけですよ、塚崎多聞は。

けれどそれは決して悪だとかいうわけではなくて、だからこそ余計にしんどい。

とか言いながら多聞もひとりの人間であることを痛感して、ちょっとほっとしてしまった。

 

「どんでん返し!!!」っていう煽り文句に惹かれちゃう人とか「作者に裏切られるのがたまらなく好き!!!」っていう変態さんにはぜひ読んでもらいたい作品です。

わたしはどっちも当てはまります。

 

前四編で、人間の思い込みや先入観がいかに不思議な現象を作っていくか散々語られているにも関わらず、知らず知らずのうちに「多聞は冷静沈着で、先入観に囚われず物事の本質を見抜く、頭のきれる人物である」と思い込んでいたのは、他でもない私でした。

 

最後の最後の謎が解明されるとき、絶対泣いてしまうと思う。

 なんだかはっとさせられる作品で、とても面白かったです。

 

 

 わたしも夜行列車に乗ってお酒飲みながら一晩中友人と語り明かして~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

是枝裕和『万引き家族』

何を隠そう、私の萎んでいた読書ブームに再び火を点けた作品がこれ、『万引き家族』です。

 

まず映画を観に行って、それがあまりにも面白くてその足で書店に向い本を購入し、すぐに読み切りました。

いや~~~本当にそれくらい面白いです。個人的には、映画→本→映画の流れで楽しむことをお勧めします。

映像が頭に入っていれば本が読みやすいし、映像だけでは読み取れない(もしくは語られていない)ことなんかが本で知れて、その上でもう一度映画を観たら、絶対かなりめちゃくちゃウルトラハイパーエターナルフォースブリザードだと思う。やばい。

 

そろそろ内容に入りますが、これを読んだのがもう2か月も前のことなので、当時書き残していた感想ノート(笑)を参考に頑張ります。

映画の内容も入ると思うけど、許してね。あと、もちろんネタバレもがんがんします。

 

あらすじ

公式サイトをチェックしてくれ~~~~

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。 冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。

gaga.ne.jp

 

 

タイトルについて

 『万引き家族』っていうタイトルはダブルミーニングで、

・「万引き」をして生計を立てている家族

・家族のメンバーを「万引き」=他所からとってきた人たちで構成している

っていう。

 

この「家族」のあり方というか、「家族」とは、というのが、物語が問いかけて来る大きな問題としてずっとあったように思います。(弱気)

血のつながりだけが家族なのか?戸籍上は他人でも、自分の大切な人に向ける気持ちは愛情ではないのか?

 

この疑問と一番に向き合っていたのは、「母」として家にいた信代かなあ……。

ラスト、警察に捕まって取調を受けるなかで、「産んだら誰でも母になれるのか?」って女刑事に問うたり、子どもたち(祥太とりん)になんて呼ばれていたか聞かれて(これはめちゃくちゃ嫌味な質問です)、確かにふたりに対する気持ちは「母」のそれだったし、共有した時間も思い出もそうだったのに、呼ばれ方になんて一度もこだわったことはなかったのに、一度も「お母さん」って呼ばれたことがないこと、それからもう二度と呼ばれることはないことに気が付いて涙を流したりめっちゃしんどい。(オタク特有の早口)

ちなみにこのシーン、映画では「なんだろうね……」って信代が涙を流しながら呟くんですが、自分はふたりの何だったんだろうかっていう疑問や、現実を認めきれない気持ちがうかがえて劇場で泣きました。

安藤サクラさんの演技が始終最高です。

 

信代自身が実の母親に愛されなかった存在だったからこそ、愛の在り処を血のつながりに求める人たちが憎かったんだろうなあ。

私はあの子を産んではいない。でも、母だった。(p.252) 

 改めて読んで、ぐっとくる一文だ……。

 

やばいめっちゃ長くなりそうやばい。ので、他のぐっとポイントを語ります。

 

ぐっとポイント集

物語終盤の取調シーンで、刑事に「子どもに万引きさせるのは後ろめたくなかったですか?」って聞かれて、「俺……、他に教えられることが何もないんです」って治が答える場面。

その後シーンは変わって、施設に入った祥太と久しぶりに再会して、治のアパートで食事をするふたり。

コロッケをカップラーメンに浸して食べる祥太の真似をする治が、「……おいしいな。こうやって食べると」「誰に教わったんだ?」って祥太に問いかけるんだけど、祥太が無言で治を見つめて「俺だっけ」ってなるの!!

 

「父」として治が祥太に教えられたことは、万引きだけじゃなかったよう(泣)

 

ふたつの場面が意図的に対比みたいに描かれているのかはわからないけど、ひとりでうなりました。

 

 このふたりの場面だと、家族全員で海に行くところも好きです。

亜紀の発育した胸についつい目が行く祥太と、それに気づいて「男なら当たり前のこと」「なんてことはない」って笑いとばす治が、本当に親子だったよ……。

 

治って目の前の事にしか興味が向かないし、責任感はないし、本当に子どもなんだけど基本的にすごく優しい人(りんに「仕事」を教えることをよく思わない祥太に、「何か役に立った方が、りんもここに居やすいだろ」って言える(考えられる)、そもそも祥太やりんを保護(仮)しようと思える)で、だからこそ育ってきた環境を哀れに思ってしまうんだよなあ。

 

 

あとは亜紀がひたすら可愛くて愛おしくて心がいっぱいになりました。

4番さんの自傷行為の形跡に気づいて、「痛いよね……」って呟くところ、亜紀の優しさが滲んでて好きです。

人の劣等感とか寂しさとか、そういう弱いところを分かってあげて、共感できる亜紀が、「家族」の絆を誰よりも信じていた亜紀が、わたしは大好きです。

結局、その「家族」を終わらせるのは亜紀自身なのがしんどい。

バイトの源氏名を妹の名前にしてるのもしんどい。

22歳、亜紀ちゃん。好き。

 

 

それから祖母の初枝が、死の直前家族で海に行ったときに砂浜でつぶやいた言葉。

映画ではもごもごしてて聞き取れなかったんですが、本ではこんな風に描写されています。

太陽が雲に入って急に日が陰り、初枝は背中のあたりに寒気を感じた。

信代が合流し、5人は手をつないで波を待っている。その後ろ姿を見ながら、初枝は小さな声で呟いた。

 

「ありがとうございました」

 

しかし、その声は、波音と5人の笑い声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

(p.200)

 

お礼言ってたの~~~~~~~~~~~~~~????(泣)(泣)(泣)

家族のことを「死に水保険」なんて言っていた初枝が、自分の死期を悟った上で家族に感謝をすることに、どんな意味があるんだろう。

読解力が乏しすぎて悔しいけど、少なくとも初枝はこの「家族」のあり方に満足してたんじゃないかなあ。

じゃないと人生の最後の最後に「ありがとう」なんて言えない、よね、、、?

しかもこの言葉は「家族」の誰の耳にも届かないっていう。

この(血の繋がりという意味で)偽りの家族のつながりきれない脆さが滲んでいて寂しいです。

初枝のこの言葉が、せめて誰よりも初枝のことが好きだった亜紀のもとに届いていたら、何か違ったんじゃないかと思ってしまう亜紀を救済したいオタク。

そしてこの場面を初枝役の樹木希林さんが、あえて言葉をはっきり発することなく表現したの、すごすぎませんか……?

 

本当はまだまだ書きたいことがたくさんありますが、あんまりだらだらしてもよくないと思うので、そろそろまとめに入ります。

 

 

最後に

なんというか、映画も本も、本当に面白かったなと思える作品でした。

何か物語に大きな盛り上がりがあるとか、そんなんじゃないんですが、だからこそ引き込まれてしまう不思議な作品です。

結局りんが一番悲惨な環境に落ち着いてしまったわけだけど、それが余計に「万引き家族」が悪なのか?って疑問になってしまう。もちろん万引きっていう行為自体は立派な犯罪で悪なんだけどね。

 

人の価値観は、生まれ育った環境や経験が大きく影響をするけれど、そのことを痛いほど学ぶ作品でもありました。

それぞれの生い立ちによって苦悩したり、あるいは人格に欠陥(って言ったら語弊がありそう)を抱えたり、「家族」が必然的に悪に手を染めてしまうことが、悲しいというか、やるせないというか、うーーんこういう自分の考えも所謂一般論で、うーーん、まとまらん……。

そんな中で祥太はとても聡明な印象を受けました。

「万引き」がいけないことだと自覚することもそうですし、それから自分の意志で父に反発をしたり、りんを庇おうとしたり、すごい。

祥太は賢い子だったからこそ、治と信代のことを「父ちゃん」「母ちゃん」って呼べなかったんじゃないかな、なんて考えています。

治と本当に最後のお別れをして、もう二度と会わないと決めた心で誰にも聞こえないようにつぶやいた「父ちゃん」、今まで一度も口にしなかったその言葉、声に出してみて、祥太の胸にすとんと落ちたんかなあ。

 

物語内で取り上げられる問題は「家族」のかたちだけではなくて、ネグレクトや虐待、年金の不正受給等々……いろいろな社会問題が密に組み込まれていて、頭の良い人が読んだら(観たら)もっともっと面白いんだろうなあって思うととても悔しいです。

 

家族ってなんだろうね。他人と何が違うんだろう。

そんなことを、昔筒井康隆『台所にいたスパイ』『家族八景』を読んで考えたなあなんてことを思い出しました。

 康隆自身も、家族のあり方に着目した作品をいくつも書いていて、同じテーマを取り上げた作品としてもどっちも面白いので興味があったらぜひ。

くさり ホラー短篇集 (角川文庫)
 

 

 

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

とにもかくにも、『万引き家族』という作品がわたしに与えた衝撃は大きかったです。

また落ち着いたら読み返したいと思います。

 

 

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】

 

 

 見出しのつかい方が下手過ぎて泣きました。